フィリピン人妻ピナちゃんは子供の頃に、子供がする一般的な遊びを体験する機会が少なかった。
実母は過度に心配する傾向にあり、ピナちゃんは友達と遊んだり外へ出ることも制限され家の中で過ごす時間が長く、来日して自転車の特訓を開始して擦り傷を作った時も実母は難色を示した。
対照的に育ての母はピナちゃんを食糧調達や賭場へも連れて出かけることが多かったし、近所で友達と遊んだりサリサリストア(簡易コンビニ)へのお使いはしていたけれど、自分の目の届かない所へは行かせなかった。
その理由は、ピナちゃんの住んでいたエリアがスラムと呼ばれる治安の悪い場所で、娘を守ろうとする親心からである。
実母は娘を暴力・レイプ・薬物等の危険から遠ざける選択をして、スラムでも暴れん坊で名の通っていた育ての母は『ピナは私の娘だぞ!手を出したら分かってるな?』と威嚇の意味を込めて連れて歩いていたのだろう。
ちょっと話がそれるけれど、数年前に「スラム街育ちにピナちゃんのような女性がいるわけがない」って感じのコメントを頂いたのを思い出した。
ブログを開始して間もない頃に、「ピナちゃんは想像の人物なんでしょ?」と言われた事もあったから、架空の話をしているブログだと思って「設定の作り込みが甘いぞ!」的なコメントかな?と思っていたが、今日の記事を書いていると、もしかするとコメントをしてくれた方は、実際にフィリピンのスラム街に行った事があるのではないかと思ったのである。
違っていたら申し訳ないのだけど、上記のコメントをくれた方は「スラム街出身の女性に騙されないように気を付けろ」と、読者がスラム街出身の人達を安易に信用して被害にあわないよう警鐘を鳴らしてくれたのではないだろうか?
その一方で「スラムで暮らす人達は優しかった」と紹介しているブログや動画もある。
同じスラム街に対する印象で正反対の認識があるのは、おそらく自身が触れたスラム街の一面が影響したのだろう。
私の知る限りで言えば、この異なる二つのスラム街への認識はどちらも正しくて、スラムには常識がない者も犯罪者も薬物中毒者も多くいるし、助け合って生きている優しい人たちもいる。
さらに言えばスラム街の中でも格差はある。
居住エリアも比較的安全な場所もあれば修羅の国みたいな所もあって、スラムで暮らす住人でも「あの辺は危ないから行っちゃだめよ」と警戒する、薬物中毒で目が移ろだったり、シンナーの吸い過ぎで前歯が無い人達が多いエリアがあるのだ。
日本に住んでいるとフィリピンのスラムの仕事と言えば、ゴミ山でゴミを拾って生計を立てる印象かもしれない。
実際にそのような暮らしの方はいるのだけど、全員がゴミ山で生計を立てているわけではなく、何が入ってるか不明だが食べ物を売ってる人や様々な職業の人達がいる。
ちなみにピナちゃんの実母はメイドや屋台の仕事をしていたし、育ての母は長年警備の仕事をしていたので、贅沢はできないけれど物乞いをする必要もなく、スラムの中では中流階級の暮らしである。
メディアがスラム街を取り上げる時は悲観的なイメージを強調したいのか絵面が気に入っているのか、風が吹けば倒れそうなボロボロの家が密集した街並みばかりだけど、実はスラム街の住居も土管からコンクリート住宅まで、日本以上に多様な住環境があったりする。
ピナちゃんがフィリピンで住んでいた住居だけでも、トタン・ブロック・木造・車・トラック・ビニールシートと幅広く網羅しており、ピナちゃんファミリー首領バブイ君一家に至っては当時からコンクリート造の家に住んでいた。
そしてビジネスを始めてからは、スラム街のビバリーヒルズと言っても良いエリアに居を構えている。※但しタクシーで行こうとすると断られる(涙)
長くなったけれど、上記のコメントをしてくれた方はスラムのビバリーヒルズではなく、日本人では珍しくディープなエリアへ足を踏み入れて修羅の世界を知ってしまい、あのようなコメントとなってのではないか?と思った次第である(汗)
そして逸れた話を元に戻すにはダラダラと書きすぎたと気が付いた(滝汗)
本当は「途方に暮れるピリピン人」のタイトルで、子供の頃に遊んだ経験の少ないピナちゃんが、祖父母の家で初めて木登りをした話を書こうと思っていたのだけど、読んで頂ける皆様の負担軽減のため、木から降りられなくなって途方に暮れるピナちゃんの画像で締めさせて頂きます。
フィリピン妻のピナちゃんと私は、祖母の退院を機に寝た切りにならないよう体力向上計画を立てた。定期的に体を動かし食べやすい食事を作り、「みのもんたが体に良いって言ってた」と適当なことを言いプロテインを飲んでもらったりして、最終的には近[…]