自己紹介

自己紹介

どうもはじめまして。元ジュノンボーイのピナ山太郎と申します。

 

嘘やで

 

誠に遺憾ではありますが、幼い頃はご近所の皆様から色々な意味で「放し飼いのゴリラ」と呼ばれておりました(涙)

このブログは心優しいフィリピン人女性のピナちゃんと国際結婚をした日本語を理解できるゴリラが、フィリピン人女性との結婚生活について日々の出来事を書いております。

 

ブログを書こうと思ったきっかけ

フィリピン人女性のピナちゃんに惚れて交際を始めた頃、私はフィリピンの事をよく知りませんでした。

私のフィリピンに関する知識は、日本のフィリピンパブやフィリピン旅行で知った事くらいしかなくて、ピナちゃんとの結婚を考えるようになった時に、「どうすれば上手く結婚生活を送れるのだろうか?」とフィリピン関連のブログを読み漁り理解を深めようとしたのです。

 

しかし当時は調べ方が悪かったのか「フィリピンで女を買ったぜ!」とか「フィリピン人に騙された!」、そんな内容のブログが多くて、私の探していたフィリピン人女性との国際結婚生活について書いてあるブログは中々見つけることができませんでした。

それと同時にフィリピン人に対するネガティブな情報が溢れる状況に胸を痛めました。

 

だけどフィリピン人へのネガティブな情報は偏見とは言えません。これまでフィリピン人やフィリピンに係わる日本人が築いた負のイメージなのです。

しかし日本で暮らすピナちゃんや、将来生まれるフィリピン人ハーフとなる子供の事を考えると、先入観だけで判断されないように日本で真面目に暮らしているフィリピン人や、フィリピン人の良い所、色々なフィリピン人がいる事を知ってもいらいたい!と、そんな思いからブログをはじめました。

現在は当時と比べて愛のあるフィリピン関連のブログが増えてきて嬉しく思います。

 

自己紹介

ピナ山太郎(仮名)

関東某所で2男1女の末っ子として生まれ、将来は拳王軍に就職すると夢を見ていた頭の悪い少年でした。

今思えば実家は貧しかったのですが気付くことなく成長し、空手・柔道・修斗と強さと河原でエロ本を追い求めていましたが、スパーリング中の怪我で格闘家の道を諦める事となりました。

 

知人の紹介で地元の小さな会社へ就職して営業として第二の人生を歩み始めましたが、いわゆるブラック企業で完全にプライベートの時間を無くしてしまい、「人生をこのまま終えることになるのだろうか?」と不安を抱えている時にFX(外国為替証拠金取引)と出会ったのです。

初めての投資は一発逆転の精神で何の知識もないまま直感を頼りに取引を繰り返し、なけなしの貯金を全て失う散々な結果となりました(滝汗)

 

ここに来て初めて自分は頭が悪いと気がつき、人生で初めて真剣に勉強をします。

次第にFXで利益を出せるようになりましたが流動性の高いFXは損失を出すリスクも大きく、毎月発表される米国の雇用統計に脅えておりました。

そこでバランスを取るために流動性の低い投資はないものかと調べてると、将来の仕事となる不動産投資を知ったのです。

 

恩師とも言える不動産会社の社長と出会い様々な失敗を繰り返しながらも利益を残せるようになり、26歳の時に会社を退職して資産管理会社を設立して今に至ります。

独立してからは東南アジアを中心に旅に出るようになり、そこで妻となるフィリピン人女性のピナちゃんと出会います。

 

ピナ山ピナ(仮名)

フィリピン(マニラ)のスラム街に生まれる。

生まれてすぐに父親は失踪し母親と暮らしていましたが生活が困窮して捨てられてしまい、同じスラムに住んでいた未婚の女性に拾われて幼少期を過ごします。

 

貧しい暮らしの中で小学校へ通うことはできませんでしたが、育ての母はしっかりと勉強を教え愛情を注いでくれました。

しかし育ての母は病に倒れ、スラムに住む二人には病院へ行くお金も無く亡くなってしまいました。

 

育ての母の親類とは折り合いも悪く、幼いピナちゃんは施設へ入るかストリートチルドレンとなるかの二択かと思われましたが、実母が引き取り再び生活を共にすることになりました。

実母は仕事が続かず住む場所も転々として、車へ住んだり路上へ作ったビニールハウスに住んだりと生活は安定しませんでした。

 

ある日、路上に勝手に建てていた家が政府の指示で立ち退きを迫られ取り壊されてしまい、捨てられていた車に身を寄せていた所を仕事で成功した実母の兄弟(叔父)が引き取ってくれて、叔父の家での同居が始まります。

叔父はサリサリストア(簡易コンビニ)を経営しており、ピナちゃんは寝食に困ることなく落ち着いた生活を送ることができるようになりました。

 

叔父の援助もあり学校へ通えるようになったものの、気の弱いピナちゃんは学校では虐められていましたが、虐めから庇ってくれる今でも仲の良い二人の親友と出会うことになります。

フィリピンの家
ピナちゃん宅

 

虐めの原因は気の弱さに加えて貧しい生活で、以前と比べれば格段に生活環境は向上しましたが、それでもトタンで作った家に住み雨水を溜めて水を確保をして、穴を掘っただけのトイレと家電など無い生活でした。

高校を卒業した後はマニラの会社で働くことになりました。

給料は月に数千円程度の仕事でしたが、懸命に働かない母親の生活を支えました。

 

しかし、ある日の給料日にピナちゃんは母親の喜ぶ顔を想像しながら、給料日だけ食べる事にしている鶏肉を買って帰宅していると、強盗に襲われて貰ったばかりの給料を全額奪われました。

これまで気が付かないふりをして明るく過ごしてきたピナちゃんも、何の為に生きているのか分からなくなり絶望してしまいます。

 

「私の人生は何でこんなに試練の連続なのだろう」と人生を悲観しながらも働き続けていたところ、仕事帰りに空腹(だと勘違していた)で動けないアジア人(太郎)に出会いました。

社長から貰った大切なハンバーガーをアジア人に分け与えると、翌日そのアジア人からお礼のチョコレートを貰い、久しぶりに訪れた幸せに涙することになりました。

 

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