私生活で色々とありまして、気が付けば1年以上もブログの更新ができていませんでした。すみません。
この1年と数ヶ月の間に現状を報告しようと何度も思いましたが、自分でも理解ができないのですがパソコンを前にしても、どうしても更新することができませんでした。
特に先月は何をするにしても全くやる気がでないほど落胆していて、ずっと気になっていたブログも、最後にお別れのご挨拶をして閉鎖しようと考えたりもしていました。
しかし、いつまでも落ち込んでいては軟弱野郎だと社長に笑われてしまいますので、復活しようしようと考えていた所、先日友人に家の解体に誘われて破壊の限りを尽くし気持ちの整理をつけた次第です。
楽しい話ではありませんが本日はここ一年のできごとを書こうと思います。
事の発端は暑さの残る昨年の8月の終わりだった。
その日、私は社長に誘われてゴルフへ行く予定だったので、早朝から家の外へ出て迎えを待っていた。しかし約束の時間を過ぎても社長が現れる気配はなく、「寝坊しやがったな・・・」と思い電話をかけても、コールはするけれど社長が電話にでることはなかった。
奥様に電話をしようかとも考えたが早朝から電話をしては迷惑だろうと思い、行き違いになってはいけないので家の前でピナちゃんに待機してもらって社長の家へと向かった。
ガレージに車が確認でき、まだ自宅にいるのだろうと再度電話をかけても出ないので、インターホンを鳴らそうとしていると、近所の方が「何かあったの?」と話しかけてきた。何かあったの?とはどういう意味だろうかと話を聞くと、先ほど社長の家に救急車が来ていたと言うのである。
誰か怪我をしていましたか?どこの病院か分かりますか?と尋ねても分からないとの事なので、とにかく一番近くの大きな病院に行ってみようと車を走らせ駐車場に車をとめたけれど、大変な時に私が行っても邪魔だよな・・・と冷静になり、駐車場で途方に暮れていた。
もしかすると大した事はなくて、もう家に帰っているかもしれないと社長の家の様子を見に行ったり、でも家に誰もいないのでまた病院の駐車場に戻ったり、そんな事をしていると辺りも暗くなり病院の周囲をウロウロしていると奥様から電話がかかってきた。
「太郎ちゃん連絡が遅くなってごめんね。今朝主人が倒れたの・・・」
奥様は憔悴しきった様子であったが、手術は無事に成功して命に別状はない事を聞き安堵した。
本当はすぐにでも社長の顔を見に行きたかったが、落ち着いたら改めて連絡をすると言われたので大人しく待ち続けていた。
それから数週間後に奥様から連絡があり、退院はしたが後遺症が残ってしまい、上手く歩けない事や呂律が回らない事を知らされ、弱った姿を見せたくないらしく誰にも会いたがらないとも聞いた。
数ヶ月が経過し、バルコニーでピナちゃんとお茶を飲んでいると部屋に置いていた携帯が鳴り、ピナちゃんが取りに行くと慌てた様子で「社長からデス!!」と電話を持ってきてくれた。久しぶりに聞く社長の声は聞き取りにくかったけれど、明日家に来いと言っているのは分かったので、「俺が明日軟弱な社長に闘魂を注入してあげますよ!」と言うと社長は笑っていた。
社長からの誘いが嬉しくて浮かれていると、しばらくして奥様から連絡があった。
「主人に会っても驚かないでね」と。
退院してから社長は急に怒りだすことがあるようで、その事を奥様は心配されている様子だったが、日頃から怒られ慣れているためそれでも嬉しいのである。翌日、久々に会った社長は少し痩せて杖をついていたが、思ったよりも元気な様子で胸をなでおろした。
あまり長居をして体に障るといけないと思い、「また遊びにきます」と奥様の料理を食べるだけ食べて帰ろうとしたが、社長から「ちょっと散歩でもしよう」と誘われ、杖をついているのに正気か?その前に出歩いていいの?と奥様を見ると、「あまり無理をしないのよ」と送り出す気満々であったため、家の近くの公園まで散歩をする事にした。
公園までの道中、段差があるたびに社長が躓くのではないかと心配で、「もしあれだったら担いでいきましょうか?」と言うと「病人扱いするんじゃねぇよ!」と杖でつついてくるのである。
「社長!本当は仮病なんじゃないですか!」と悪態をついてみるものの、倒れそうになったらすぐに支えようと常に臨戦態勢で緊張感のある散歩だった。
公園のベンチに腰かけて色々な話をした。
社長は意識が戻った時にこのまま体が動かなかったら、家族や会社はどうなるのだろうかと心配だったようで、私にも何かあったら家族が困らないように日頃から備えておくように言い聞かせてくれた。
その後も出会ってからの思い出話に花を咲かせていたのだが、徐々に違和感を感じるようになってきた。
最初は呂律が回らないので聞き間違いだろうと思っていたが、どうも話の内容が私の記憶と食い違う所があって不思議に思っていると、「あれ?あんな道あったかなぁ?」と家の近所にある公園から見える、間違いなく知っている道を見て呟いたのである。
社長・・・記憶がおかしくなってるのかい(涙)
「あんな道あったんですねー」と話を合わせながらもかなり動揺してしまった。
その後、社長をご自宅へ送り、ガレージまで見送りにきてくれた奥様に先ほどの話をすると、奥様は既にご存じだったようで心配されている様子だったが、命が助かっただけでも良かったとおっしゃっていた。
だけど現実は非常だった。病院で検査をしていた時にステージかかなり進行した癌が見つかり、社長は再び入院治療を余儀なくされた(涙)
少し長くなったので、続きはまた後日書こうと思います。