限界を迎えた私を救ったのは妻だった

何のお知らせもなく長期間更新を停止して、楽しみに読まれていた方々に不義理をした形になっていただけに、文句の一つもあろうかと覚悟をしていましたが、1年以上経過しても変わらず温かいコメントを頂きましてありがとうございます。

昨日のコメント、更新停止前のコメントを読み返してみると、ご心配をおかけしないように短文でも報告をしておけばよかったと痛感しました(涙)

 

ここからが前回の続きです。

社長の入院治療が始まった頃、私の祖母の体調が悪化した。

祖母は常に息切れをして体を動かすのも辛そうになっていた。家族の中で唯一、日中も自由に動ける私が祖父と協力しながら病院へ付き添ったり家事をしたりしていたが、不幸は続くもので無理がたたったのか祖父まで体調を崩し入院することになった。

 

その時は祖父のお見舞い、祖母の通院への付き添いに家事と私の手に余る状態になってしまったので、まずは仕事を辞めた。

辞めたと言っても兄の仕事が休みの日には祖父母の面倒を見てもらい、最低限の仕事や息抜きにピナちゃんと食事に出かける事はできた。

唯一の誤算は元々そんなに働いていなかったため仕事の時間を削ったくらいではどうにもならなかった事である。

 

それでも出来る限りの事はやろうと、祖母を病院に連れて行き祖母が昼寝をした隙に掃除や食事の準備をして、祖父の病院へ様子を見に行くのを繰り返していたが、無駄に体力のある私も疲れてしまった。

特に家事をするのが大変であった。

戦後生まれの祖母は男が台所に立つ事を嫌がり、私が家へ行くと息を切らしながら珈琲を用意しようとしたり、料理を作る体力も無くなっているのに震える手で果物を切ろうとしてくれたりと、祖母に休んでもらうために行っているのに、かえって祖母を疲れさせているのではないかと思い悩むのである。

 

だけど私の顔を見れば嬉しそうだし、私がいないと用意した食事に手を付けていない日があったため、祖母が気を使わないように台所に立つことはやめて毎日配達してくれる弁当を手配して一緒に食べる事にした。

これで食事の問題は解決するかと思ったが、祖母は硬い食べ物が食べられないので、宅配弁当の献立によっては食べられるおかずが無い日もあって、ピナちゃんが私に作ってくれた弁当で祖母が食べられそうなおかずがあればいいのだけれど、無ければ私の作れるカレーやうどん、卵焼きにご飯とレトルトの汁物だけになるのである。

 

このままでは祖母の体にも良くないので、祖父は病院にいるから安心だろうと自分に言い訳をして、見舞いに行った時にしばらく来られないと伝えようとしたが、そんな時に限って「いつも来てくれてありがとうな。無理をしてないか?」と言われてしまい、中々言い出せなくなって困っていた所に救世主が現れた。

祖父の車いすを押して病院内にあるコンビニへ向かっていると、見覚えのあるフィリピン人が大きな袋を抱えてキョロキョロと辺りを見渡していた。

ピナちゃん!?

(´Д`*)オオ‐イ♪(訳:来ちゃった)

 

近ごろ祖父母の家に私が連れていかないので、何かあったのではないかと祖母に電話をして祖父母の体調不良が発覚し、先ほど祖父の入院している病院に私が向かったとの情報を得たピナちゃんは、自宅から遠く離れた病院までバスを乗り継いで来てくれたのである。

袋には饅頭や飲み物を買いこんでいて、病院でそんなにフリーダムに飲み食いしても良いものか分からないが、祖父のベッド脇にあるキャビネットに詰め込んでいた。

祖父は「よく来てくれたね」と先ほどまでの弱々しい表情から一変して元気になり、病室の他の入院患者さんや看護師さん達に「孫の嫁です」と聞かれてもいないのに紹介してまわった(汗)

 

今になって思えば間違いだと思うが、それまでピナちゃんには本当の事は伝えていなかった。

思い悩む私に感付いて「何かありマシタカ(´・ω・`)?」と聞かれても、心配するといけないし大変な毎日に巻き込むのは可哀そうだったからだ。

病院から祖母の待つ家までの道中、問題があるなら早く言えとピナちゃんから怒られ、スーパーで食材を買いピナちゃんが祖母に料理をふるまうと、とても美味しそうに料理を食べていた。

 

その日からピナちゃんには苦労をかけてしまったが、お陰で私の負担は大幅に軽減された。ピナちゃんに私と祖母の弁当を作ってもらい、私は祖母と昼食をとり病院へ連れて行き、その間にピナちゃんは祖父の入院する病院へと見舞いに行き様子を見て、祖母の家にSuicaを巧みに利用してやってきては、私の苦手な夕食の用意や家事をしてくれた。

私はと言えば服のたたみ方が雑だったり、アイロンのシワが伸びていない事で次々と仕事を奪われてしまい、洗濯機の糸くずフィルターのゴミを捨てるのと部屋の掃除しか任せてもらえないポンコツ野郎となっていたが、お陰でそれまで気が回らなかった庭の掃除や、一向に回復しない祖母の病状について考える時間ができたのである。

 

それまで祖母が通院していた病院では、祖母の息切れの原因は心臓のポンプ機能が低下していてるのが原因だと考えていて、その為に毎日多くの薬を飲み辛い時にはニトロという一時的に血管を拡張する薬を舐めたりしていたのだが、体調が良くならないのでカテーテルを動脈に入れる手術をしようという流れになっていた。

だけど祖母の体力を考えると簡単な手術だとしても無駄な事はしたくないし、医療の事は全く分からないので医者の言うことを信じるしかないが、退院した祖父とも相談して手術をするのなら流行りのセカンドオピニオンで他の病院で検査をしてもらおうと決めた。

 

数日後に予約を取り設備の整った大きな病院で検査をすると、何と心臓には問題がない事が分かった。

今までの通院は何だったのかと思うが、祖母の息切れの原因は肺だったのである。祖母が若い頃に働いていた工場で粉塵を吸い込み続けたか、古い家などに発生するカビが原因で息切れをおこしているのだろうとの事だった。

 

原因によって対処は異なり、吸入器を使うかカビを根絶するかになるのだが、その頃の祖母は遠くの病院へ行って診てもらうだけで体力を使い果たし、家に戻ると寝込んでしまい通院するのは辛いし入院もしたくないと言い始めていた。

吸入器は通院か入院して検査をしないと用意はできないけれど、カビが原因なら少しは改善できるかもしれないと考え、業者に躯体を点検してもらうと柱や梁はそれほど傷んでいる様子はないというので、畳を入れ替え、壁紙を使っている所は貼り直し、エアコンやサッシの掃除をしてカビの発生しそうな箇所を修繕してみた。すると徐々にではあるが、祖母の息切れは完全に治ったわけではないけれど、数メートル歩くだけでハァハァと息切れする事はなくなり、以前よりも食事を食べられるようになった。

これはカビの発生しやすい夏を乗り切ったからかもしれないが、快方に向かっている気がするのである。

こうして秋には祖父母の体調はある程度回復し心配の種は減ったのだが、社長の状態はあまりよくなっていなかった。一度目の治療の後で再び影が見つかり、癌が再発しているのが分かった。

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