家庭の味が生まれる理由

ピナちゃんは来日するまで料理を作った事はほとんど無かったので、フィリピン料理よりも日本で作り方を覚えた和食の方が得意である。

料理の勉強方法は難しい漢字にフリガナを書いてあげた料理本を見て、分からないフレーズは私に確認を取りながら覚えていったが、母、祖母、友人、公文の先生等にも料理を教わっている。

近頃ピナちゃんは私が幼い頃に食べていた家庭の味を再現した料理のレパートリーを広げたいようで、昨日も料理を教えてもらいに祖母の家へとお邪魔していた。

昨日習ったのはサンドイッチで、幼き日の私と兄の争いがきっかけで生まれた思い出深い味である。

 

あれは私が小学校三年生の時であった。

貧しかったからなのか手が掛かるかなのか夏休みの間、兄と私は祖父母の家へ預けられていた。

姉は変わらず両親と暮らしていたので、「捨てられたのではないか?」と兄弟で「お前が言う事を聞かないからだ」と、お互いに罪をなすり付けあいながら心配をしていたが、祖父母の家は近くに山や川もあるし食べ物もたくさん出てくるので3日も経てば二人とも見事に順応していた。

 

孫と過ごせる事にはりきっていた祖父母は、朝や夜は連日豪華な食事を作ってくれるので、私達兄弟は田舎暮らしを満喫していたが、食事に関して一つだけ問題を抱えていた。

それは祖父母が昼間は働きに出ているため、作り置きしてくれていた昼食をめぐる戦いである。

食い意地の張った兄は、大人がいないのを良い事に昼食を独り占めしようとする。

 

もちろん私も食べ物を取り替えそうと兄に殴りかかるのであるが、子供の頃は数歳の違いが大きな体力差を生み出すので連日敗北して泣かされていた(涙)

祖父母に「兄に喧嘩で負けて食べ物を取られている」と言えば解決するのだが、幼いながらに負けたと言うのが悔しくて言い出すことができず、頭の悪かった私は”山篭りの特訓して北斗神拳を覚える”という選択をしたのだが、一人で山へ出かけようとすると心配性の兄が毎回ついてきて、結局は喧嘩の事など忘れて一緒に山で遊んでいただけなので差が縮まる事は無かった。

 

このままでは一生昼ごはんが食べれないと危惧していた太郎少年は、出かける前に昼食の準備をしている祖母に一つのお願いをした。

ばあちゃん!サンドイッチに”からし”を塗って(´;ω;`)

 

祖母は怪訝そうな顔をしながらも要望通りからしを塗ったサンドイッチを作ってくれた。

昼食でカラシ入りのサンドイッチを食べた兄は一口しか食べる事ができず、私は戦わずしてサンドイッチを勝ち取ったのである。

「兄ちゃんはガキだから、この味がわからねぇんだよ(‘A`)」と鼻にツーンと抜ける刺激に涙目になりながら、勝ち誇った顔をして無理をして食べていると、再び殴られて泣かされたがサンドイッチを確保した私には前日までの悔しさは無かった。

 

翌日も祖母に「美味しかったから毎日サンドイッチを作ってほしい」とお願いして、カラシとワサビが苦手だった私は涙ぐみながら毎日カラシ入りのサンドイッチを食べ続けていると、ある日「あれ?美味いじゃないか・・Σ(゚д゚;)」と好みが変化したのか、それまで苦手だったカラシの美味しさに気が付いた。

少年は大人になったのである。

 

こうして兄対策として誕生したカラシサンドイッチは私の好物となった。

それからも祖母の家へ遊びに行った時には時々作ってもらっていたのだが、需要が無さ過ぎて母も姉も興味を示さなかった一子相伝のカラシサンドイッチのレシピを、フィリピン人妻のピナちゃんが伝承する日がきたのである。

つづく

フィリピーナの心を掴む

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